境内

1.御神殿 2.神楽殿 3.随神門(朱門) 4.手水舎 5.社務所 6.参集殿 7.社号碑 8.鳥居門 9.南石鳥居 10.東石鳥居 11.東赤鳥居 12.西赤鳥居 13.力石 14.八雲社(祇園社) 15.蛇の枕石(夜泣き石) 16.幸神社(ゆきじんしゃ) 17.雲龍殿賀茂宮 18.貫神社 19.稲荷神社 20.疫神社 21.宮地嶽神社 22.猿田彦 23.山津見神社 24.高雄神社 25.洗錬殿水神社 26.朱連灯篭 27.車祓所 28.掲示板

御神殿

合計七回目の造営となる御社殿は右手神楽殿共に、日本建築工芸株式会社 小橋英雄氏の設計により、昭和46年竣工。

神社の恒例祭典及び結婚式、日常昇殿参拝者の玉串拝礼は、ここで行われる。

建築は、切妻造、平入の三間社流造の本殿より、内陣・外陣・大床・陛・祝詞舎・内拝殿・外拝殿からなる。拝殿は正面に大きな千鳥破風をおき、その前に唐破風の向拝屋根を張りだしている。屋根部分は木造の銅版葺、柱下は鉄筋コンクリート、基壇には御影石を使用。
御社殿から神楽殿、随神門、社務所、廻廊、鳥居門、東西大鳥居に至るまで、蘇芳色にも近い当社唯一の総朱塗彩色で統一され、広い境内に見劣りしない奥行きと佇まいを持った社殿である。

神楽殿

昭和46年御神殿と共に竣工。

祭典時には舞神楽、豆まき神事等、賑神行事が執り行われる。

神楽殿鏡板『月夜に老松』
平成24年10月竣工
奉納者  ILLUSTRATORサイトウユウスケ氏。

http://www.saitoh-yusuke.com/profile.html

随神門(朱門)

昭和54年竣工。

門の両袖の随神は右が豊磐窓神(とよいわまどのかみ)、左が櫛磐窓命(くしいわまどのみこと)といい「先触れの神」で、同一の神だといわれている。
門の上の大額『玄監』は豊前小倉藩五代藩主小笠原忠苗公の筆によるといわれている。
『玄監』とは、「襟を正し、姿をみさだめ、神域に臨む」という意であり、神慮を頂けるよう敬虔な気持ちにさせる言葉である。

手水舎

昭和62年竣工。

参拝前に身心を清める所。

【作法】
1.水を汲んだ柄杓を左掌に掛けるように洗い浄める。
2.左手に柄杓を持ち替え同じように右掌に水を掛けて洗い浄める。
3.右手の柄杓の水を左手の掌で受けて口を漱ぐ。
4.両手で柄杓を垂直に立てるようにして、柄の部分を洗い浄める。

社務所

昭和59年竣工。

木造平家造。御祈願の受付所、並び授与所。

参集殿

昭和46年竣工。

直会会場、参拝者控え室、応接室、会議室、大広間等。
神前結婚式時の着付け室、親族紹介室等。

社号碑

昭和62年竣工。

当時の神社本庁統理徳川宗敬の揮毫である。

鳥居門

昭和54年随神門と共に竣工。

90の正面石段、連朱灯篭(平成20年竣工)と共に当社の顔として一役買っている。

南石鳥居

寛延4年6月 越中富山薬種屋、権七奉納。

東石鳥居

享和2年(1802年)歳次壬戌季秋(9月)之吉

東赤鳥居

昭和49年竣工。

紫川篠崎大橋、都市高速から総覧。
東石鳥居と共に参拝者への神域を示す。

西赤鳥居

昭和46年竣工。

当社の西口に位置し、 ここから先は聖なる領域であることを示している。

力石

【由 緒】
神功皇后が三韓から凱旋の時、筑前の宇美で皇子を御安産された。
翌年穴門(長門)の豊浦宮に御向かいになる途中、鷹尾山の山頂(当神社を宮尾山に遷座する前の場)にあった大石(力石)の上に皇子(後の応神天皇)をお立たさせ、遥かに菊の長浜や文字ヶ関を望み、群臣を顧みて、「穴門は近し」と御懐かしみなさった。
敏達天皇の御代、この故事に基づき鷹尾山の麓に神社を建て、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇を祀られたのが篠崎八幡神社の起源である。
その後、仁明天皇の御代、現在の宮尾山に御遷座なさり、この大石を「安産」「子安成長」「立身出世」の御利益のある霊石「力石」として崇敬される。

八雲社(祇園社)

【祭 神】
須佐之男命、櫛名田比売、

【由 緒】
かつて、宮尾山の麓に蛇渕とよばれた大渕があり、大蛇が住んでいて多くの住民に害を為していた。
初代の篠崎神社大宮司葛城小藤丸が御神託によって須佐之男命<古事記より。出雲国にて八岐大蛇を退治した神> の御霊をお招きして、宮尾山の上に祠を建てお祀りし、住民の安全を祈願した。
そのお陰で大蛇はおとなしくなり住民は安心して暮らせるようになった。
後、この地は地域住民に祇園の社又、御蛇山と呼称され現在に至り、「厄除」「縁結び」の神として崇敬される。

蛇の枕石(夜泣き石)

【由 緒】
八雲社のお導きにより、荒れ狂っていた大蛇も蛇渕で静かに暮らしていた。
年頃となった折、美しい女蛇と出会い恋におちた。
ところがある日、女蛇は貴船神の急の使いにより大蛇のもとを去った。 大蛇は恋しさに、紫川左岸の蛇渕(現在の木町付近)の大石に毎夜現れ、その石を枕にして「女蛇恋し」と大声で泣いた。
八雲社の御祭神のお導きで、大蛇は竜神となり天に昇った。
人々はその石を「蛇の枕石」「夜泣き石」と呼び、この事が遠近に伝わって「安穏祈願」「恋愛成就」「子供の夜泣き封じ」等として崇敬されている。
昭和四七年、木町より八雲社のお祀りしてある当神社境内に遷された。

幸神社(ゆきじんしゃ)

【祭 神】
猿田毘古神

【由 緒】
幸神社は、道祖神・猿田彦大神を主祭神とし、文治二年(1186)に祠を祀った。
古来、「幸神(さいのかみ)」とは、鬼門から、邪気や疫病が入ってこないように北東を守護する「塞の神(さえのかみ)」である。
当神社においても北東に位置し、鬼門除けの守護神としてある。
また、読んで字の如く「幸」の一字が使われている事から、幸福守護の神としても崇められている。

雲龍殿賀茂宮

【祭 神】
賀茂別雷命、品田和気命、市寸島比売命

【由 緒】
明和二年(1765)小笠原四代藩主忠総公が賀茂別雷命を勧請され、続いて播磨国安志藩から養子に入られた五代藩主忠苗公が品田和気命、市寸島比売命を相殿に勧請す。
九代藩主小笠原忠幹公が文久二年(1862)に篠崎神社大宮司川江直種に命じて別殿を造立、賀茂宮を祭祀された。
その時忠幹公が額を奉納した。

【神 徳】
篠崎八幡宮 摂社の賀茂宮大神様は、国家国民の安穏と世界平和をご祈願する守護神であるとともに、縁結・安産・子育・交通安全・厄除など、人々の暮らしを守る神さまです。
また、主祭神「賀茂別雷命(カモワケイカヅチノミコト)」は、「雷神」であるともいわれ、雷は「神鳴り」のことであり、古来より「雷神」は「龍神」としてイメージされております。
「別雷」とは「若雷」を意味しております。
すなわち「若」「雷」「龍」の存在であり、大切な作物をすくすくと成長させる霊力を発揮するなど、若々しいエネルギーを秘めた龍神様です。
「恋愛」「子育」「学業」「仕事」など、人々の活力向上・運気隆昌(龍昇)の社として、信仰・崇敬されております。

貫神社

【祭 神】
天照皇大神、宗像三女神、宇迦之御魂大神、大国主神

【由 緒】
明徳二年(1391)規矩郡地頭貫掃部頭源宗景が祠を 貫の庄に建て天照皇大神、宇迦之御魂大神を勧請した。
寛文三年(1663)新田又四郎信勝が霊夢を感じ、 新田義基神社と合せ篠崎庄に遷座し、 宗像三女神、大国主神を合祀せり。

稲荷神社

【祭 神】
宇迦之御魂大神

【由 緒】
農耕神信仰に始まり、人々の生活に密着した御利益から、商業神・屋敷神など多岐の信仰に拡大。
江戸時代には「商売繁昌」「殖産興業」の神として伏見稲荷大社を稲荷信仰の中心とし、当地に勧請される。

疫神社

【祭 神】
大已貴命(大穴遅神)

【由 緒】
祠前の説明によると、祭神は大穴遅神(大国主神の別名)。
安永三年(1774)五代藩主忠苗公が、 篠崎神社大宮司川江敏種に命じて、疫病退除のために小祠を建て、永く鎮疫の神として崇拝されている。

宮地嶽神社

【合併社】
猿田彦社、金毘羅神社、近江稲荷神社、
山ノ宮日開社、淡嶋神社、意業社

【祭 神】
保食神、胸形三柱大神、神功皇后、事勝國勝長沙神、國勝長勝面勝神、闇弥都波神、闇淤加美神、譽田和気尊、住吉三神、菅原神、大蔵春實朝臣、新田義基朝臣、他34神

猿田彦

【祭 神】
猿田彦大神

【神 徳】
天孫降臨の際、 神様方の先導(道案内)をされた神様。
道案内・交通の神様として全国的に著名。
当神社、東赤鳥居横に鎮座する。

山津見神社

【祭 神】
大山津美大神

【神 徳】
当杜の右手、小高い丘の頂上、広く境内を見渡せる所に位置し、 「山の神」として鎮座する。
五穀豊穣の農耕神、また、「山の神」とは山を護る神であり、お産の神としても信仰される。

高雄神社

【御祭神】
保食神、大山祇大神

【御由緒】
高雄神社の創建は篠崎八幡神社と同じく、神功皇后とその皇子応神天皇がこの地を訪れたことに由来する。保食神をご祭神に戴き、当時篠崎八幡神社が鎮座する高尾山山頂(現 小倉北区高尾二丁目付近)に祀られた。
嘉祥三年(八三六年)篠崎神社が宮の尾山(現在地)へと御遷宮の後、高尾山は別名福智山と呼ばれるようになる。この頃には高雄神社も福智様、福智神社と謂われ始め、広く知られるようになった。
明和の頃(江戸時代中期)大山祇大神を合祀。
また明治維新の頃、篠崎八幡神社宮司川江直種により、腐朽した拝殿の改築の折、神功皇后と高尾山の故事に基づき、福智の名を改め高雄神社とその名を決す。
以来、近隣住民の尊崇を集めて盛んに祭事も行われるが、昭和四十年頃付近一帯の買収により小倉区大字朝倉の地(現 山田地域交流センターの前)に御遷宮となる。
時代は平成に移り高雄神社の祭事の円滑化、また近隣の要望もあり平成二十六年篠崎八幡神社境内へと御遷宮。
創建より千四百年の時代を経て、高尾山からこの宮の尾山へと場所は変遷したものの、再び篠崎八幡神社と同じ山へと祀られることとなった。

【御社殿】
平成二十六年十二月吉日竣工。前年の平成二十五年は、第六十二回式年遷宮という節目であることから、神宮の神殿建築「神明造」を採用。
宮大工による総檜造。屋根は五段の銅板葺。千木・鰹木は、外宮にならい外削ぎの陽数。基礎・台座には、山の神様ということもあり天然石を使用。
鳥居・灯篭・玉垣の御影石は、昭和四十七年の御造営の際のものを移築。
本殿のみの境内末社としては、類を見ない荘厳な御社殿である。

洗錬殿水神社

洗錬殿(パブリックトイレ) 厠神社 トイレ神社

【御祭神】
天之水分神・国之水分神・瀬折津姫神・水波能女神・埴山姫神

【御由緒】
『厠の神様』は、「便所を綺麗にすると、美しい子が生まれる・かわいい赤ちゃんが生まれる・お産が楽になる」「トイレでタンやつばを吐くと、目とのどの病気になる・口の横にできものができる」等、民俗学の見地からも様々な民間伝承が窺える。また、水周りも、「厄を流し、良い気が流れ込む準備をする場所」「水を粗末に扱うと、悪い運気を流せない」「ピカピカの水回りは、金運を上昇させる」等現代生活にもあてはまる習慣となっている。
『水』は火と共に人間生活に欠かせないものであることから、古くから信仰対象とされ、水の植物を繁茂させるの様は、人にも多産をもたらす吉兆として、子授けや安産の守神ともされている。
篠崎八幡宮は、紫川の畔に鎮座し、『紫川と蛇の枕石』にみられるように、また、水は蛇行して流れることから蛇や龍を水の化身とされるなど、神話の時代より水への関わりが深く水神への信仰が厚い。
平成二十八年七月「生」「命」「水神様」への感謝と祈りを捧げる清浄な禊の神域として、新たに『厠神社』として『洗錬殿』に遷座される。

【御神徳】
厠の神様を大切に扱うと、美人成就・健康長寿・安産・子授け・福徳・下半身の病・目・耳の病の治癒などに御利益があると伝えられています。

朱連灯篭

 平成20年7月吉日 第一期工事竣工。

『鳥居門』下、正面石段沿いに並べられ、
篠崎八幡宮の新しい顔として表参道を明るく華やかに包みます。
当社唯一の朱(蘇芳)色に塗られ、屋根は重圧な銅版葺の春日造。

車祓所

境内の御神殿右手前に車祓所を設けております。
車道門からどうぞ境内地の中まで車輛をお乗り入れ下さい。

掲示板

平成18年6月26日竣工。

年間祭事のご案内や、お知らせ等掲示。

▲上へ