新生『雲龍殿賀茂宮』平成24年辰年に向け改築御造営竣工
篠崎八幡宮 境内神社
『雲龍殿 賀茂宮(ウンリュウデン カモグウ)新生』
築260年の木造社殿が、
国内初「秘術 雲龍柄折上格天井」を施し改築竣工
賀茂宮のご案内
1400年以上の歴史をもつ篠崎八幡宮社殿は、
昭和46年の御造営を含め、合計七回あったとされております。
現賀茂宮社殿は、昭和46年の現篠崎八幡宮の再建に際し、
神明造の八幡宮本殿を賀茂宮本殿、入母屋造の八幡宮幣殿を賀茂宮拝殿とし、
現地に正面を南向きに移築しております。
本殿は弘化(1844年~)頃、拝殿は宝暦14年(1764年)のものであり、 現在銅板葺でありますが、茅葺、瓦葺など幾度の葺替えや修繕を経て現在に至っております。
昭和46年以前(境内絵図)は、三間社神明造の篠崎八幡宮本殿と一間社流造の賀茂宮が並立し、
それぞれの本殿の前に入母屋造・桟瓦葺の幣殿が建っていました。
両殿の屋根は繋がっており、両殿の間の縁を共有。
八幡宮幣殿の前面には割拝殿が建ち、桁行七間・梁間三間、入母屋造、本瓦葺でありました。
八幡宮幣殿右側面と賀茂宮幣殿左側面からそれぞれ板敷きの廻廊が矩折に続き、八幡宮では拝殿に繋がっておりました。
賀茂宮改修御造営工事
報告祭並安全祈願祭
この度、その長い歴史と共に刻まれた社殿の著しい老朽化、また、日本文化としての木造神社建築の後世への伝承、
そして、この社殿に宿られる篠崎八幡宮・賀茂宮の大神様への感謝を祈念し、社殿改修工事に取組むこととなりました。
賀茂宮の御神徳
篠崎八幡宮 摂社の賀茂宮大神様は、国家国民の安穏と世界平和をご祈願する守護神であるとともに、
縁結・安産・子育・交通安全・厄除など、人々の暮らしを守る神さまです。
また、主祭神「賀茂別雷命(カモワケイカヅチノミコト)」は、「雷神」であるともいわれ、雷は「神鳴り」のことであり、
古来より「雷神」は「龍神」としてイメージされております。
「別雷」とは「若雷」を意味しております。
すなわち「若」「雷」「龍」の存在であり、大切な作物をすくすくと成長させる霊力を発揮するなど、
若々しいエネルギーを秘めた龍神様です。
「恋愛」「子育」「学業」「仕事」など、
人々の活力向上・運気隆昌(龍昇)の社として、信仰・崇敬されております。
境内に祀られる『龍神』となじみも深い『蛇の枕石』と共に、来る年の『辰年』を迎えるにあたって進められたこの事業は、
大神様の『お導き』であると感じる次第でございます。
「運気隆昌」「開運招福」「邪気退散」の 上昇龍御守
「活力向上」「運気龍昇」「開運招福」の上昇龍御守
賀茂宮のご由緒とお神様
【御祭神】
- 賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)
- 市寸嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)
- 品田和気命(ほむたわけのみこと)
【御由緒】
明和二年(1765)小笠原四代藩主忠総公が加茂別雷命を勧請され、
続いて播磨国安志藩から養子に入られた五代藩主忠苗公が品田和気命、市寸島比売命を相殿に勧請す。
九代藩主小笠原忠幹公が文久二年(1862)に篠崎神社大宮司川江直種に命じて別殿を造立、賀茂宮を祭祀された。
その時忠幹公が額を奉納した。
新生『雲龍殿 賀茂宮』の見所
~「和」「巧」「雅」「彩」「艶」を羽織る『雲龍殿賀茂宮』~
『雲龍殿賀茂宮』社殿は、日本文化を代表する神社建築としての佇まいは勿論ですが、また違う顔も持っており、
細工、装飾、にそれぞれ意味とドラマが存在しております。
【稲光を浴びる】
・篠崎八幡宮唯一の漆調蘇芳色に、蟇股・木鼻・手挟み・垂木などに至るまで施された金色は、雷(稲妻)の神々しさをイメージ。
【唸りと畏れの雲龍】
・拝殿全面の折り上げ格天井は、今にも龍神が現れるのではなかろうかと憶える装飾が施された、国内初、神社建築日本唯一の『秘術 雲龍柄折上格天井』。
この龍神の出現の唸りと畏れを表す『雲龍』柄と、一閃の黄金の煌きの『雷光』格子とが重なり合うとき、神々しさにつつまれ、1つの小宇宙が生まれる。
まさに『雲龍殿』と呼称するにふさわしい荘厳感。
賀茂宮 改修御造営工事 竣工 工事見解
時を遡る事二四六年前、篠崎八幡宮本殿・幣殿として この社は創建されました。幾度の風雪に耐えるも、その堂々たる姿を今に残します。下記は、今回の改修御造営の工事見解として記します。
本殿は、神明総檜造り 柱寸法が社殿割付けにしては幾分細く、スマートな割に設えられていますが、創建当初の茅葺き屋根の厚みとのバランスは取れて、それを感じさせない様相であります。外観は、ほぼ創建当時のまま、浜床・高欄は、昭和の御改修時のものであります。
外陣に至っては、当時、畳をあしらい、内陣の壁白に金箔を貼っていた様相も見られ、当時にしても最高の木材と技術で造営されていた足跡が残っていました。今回の平成の御改修にあたり、本殿の御扉を新たに新調 改修前は開口面の間口も狭く、要は磨り減り独特の音も鳴らない状態でした。新調した御扉は間口を12㎝広げ、漆調の黒色をまとい、金箔仕上げの装飾金具を取り付け作り上げています。
幣殿部は、当初の渡り殿に壁をあしらい、開口面を最大に取り採光をふんだんに取入れ、上段の框を入れて、本殿とのバランスを考慮しました。漆黒の黒床に金の稲光を思わせるような神々しさが映りこみます。本殿に上がる階には、下から4段を創建当時の御用材を、中4段を昭和の御改修時の御用材を、上2段を今回平成の御改修の御用材をと、歴史を重ねて、本殿をお支え致しております。
拝殿部は、今回の御改修で一番時間を費やした場所であります。構造材は肥松、斗組・彫刻には楠の赤身と、今の時代には揃えるには難しい程の御用材で造営されています。当時の大屋根は瓦葺、総重量はゆうに10トンはあったであろうか。その屋根を支える束はわずか4本、枡組みは歪み桁は最大で5㎝下がり、その重さで、梁に2㎝も食い込んでいたが、支輪が筋交い代わりになり、ズレを防止していたようです。
拝殿の倒れは、西側に3㎝、北側には6㎝と、見るに分かる程でありました。屋根自体をひと隅ずつジャッキアップし、頭貫から上、台輪 斗組を取り外し改修の必要な場所は補修改修、すでに朽ちて落ちたものは取り替えて収めています。頭貫部分で水平を取り、原型を保っています。創建当時の繊細な細工には、私ども職人の眼は釘付けとなり、身が震える程手がこんでありました。主要な場所以外には、釘を極力使わず木組みで収め、その主要部の釘も全て和釘、当時の施工技術の高さを感じました。
床部分は、床組を残し、根太・大引き・地梁は 白蟻の被害に、差し框の皮を残して腐食、地長押はかろうじて釘で支えられていた状態、床下はほぼ朽ち原型をとどめていませんでした。しかし、創建当時には畳敷きの細工の跡が残っていました。
壁部は、欅の桟木に欅の板を内側から貼り、両面を化粧壁としていました、その板の割れ部分も酷く、桟木は抜け落ち、今回新たに新調いたしています。
長押は肥松の柾目で誂えられており、歴史を感じるほどの釘跡・割れが酷く正面を取替、残りは補修改修しています。長押解体の時には、その間から江戸時代からの古銭が多く出てきました。当時からの信仰の厚さを感じます。
格天井部は、当初 梁の関係上、折上げは難しいかと、解体時の状況に応じて造作する事としましたが、屋根の梁は直径30㎝程の物を、3重に組み上げ深く、今回折上げ格天井が実現しました
その天井部には、国内初の秘術『 雲龍柄折上げ天井 』を採用、今回の御改修の目玉です。
外観は西側軒先に改修の跡がある、これは創建当時の幣殿が社殿続きであった為、軒が無かったと考えられます。昭和の御改修時に銅板に葺き替えられた時、新たに造営された事だと神社様より伺いました。
改修前の浜床・高欄は拝殿正面だけに設けられ、翼を持たない独特の造りでしたが、御柱下段の柱傷に四面に浜床が設けられていた跡があり、今回創建当時の外観を再現しています。
この御改修にあたり、当時の職人が 何を想い・何を願い造営に携わったか、神の御徳に恥じぬ息吹と、技 『 後世に残したい 』その強い想いが伝わってくるように感じた社殿でした。
縁結びのお導き
篠崎八幡宮境内に祀られる『蛇の枕石』には、大蛇と女蛇との素敵な恋の神話が宿ります。
「恋する大蛇が、神様のお導きにより竜神となり、女蛇と結ばれる(蛇の枕石昔ばなしより)」という、
神代の物語にあやかり、
恋愛成就・縁結びを願う人々は、本宮 篠崎八幡宮にお参りしたあと、
『蛇』から『龍』、『蛇の枕石』から『雲龍殿賀茂宮』へとお参り頂き、大神様の『お導き』を授かりましょう。
『蛇の枕石(夜泣き石)』
お参りしたあと、拝殿外より『雲龍柄折上格天井』を望んだとき、
龍神の現れを感じた方は、成就が近いとか…近くないとか…
お二人だけの結婚式
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