御祭神

諱を品陀和気命(ほむたわけのみこと)と称し、仲哀天皇の第四子として息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)、すなわち神功皇后との間にお生まれになりました。
応神天皇は御神託により、生まれる前から天下を治めることを告げられ、また臨月を迎えていた母、神功皇后は「事を終えて無事出産するように」と祈念をこめた石、「鎮懐石(ちんかいせき)」を腰にはさみ、出産を延ばしたうえ男装して出陣。
三韓征伐より凱旋ののち、筑紫にて無事ご安産されました。
以来、応神天皇はその神秘的な出生から胎中天皇とも呼ばれました。
北九州、福岡の八幡神社には大変なじみが深く、たくさんの伝承を各社に残しております。古事記によれば百三十歳まで存命だったといわれています。

御祭神 応神天皇(おうじんてんのう)
御祭神 神功皇后(じんぐうこうごう)

諱を息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)と称し、「古事記」「日本書紀」において、仲哀天皇の死後百歳で亡くなるまで摂政として政治を行ったとの記述もあり、いわば最初の女帝ともみなされています。
巫女的伝承も多く残され、みずから神がかりして神託を行っておりました。

日本の神話の中でもっとも有名な英雄、倭健尊(やまとたけるのみこと)の第二子で、諱を足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)といいます。
叛乱平定のため、奇しくも父と同じく熊襲征伐に向かいますが、そのさなか病没。
しかしながら九年間の短い治世において積極的に活動され、巡幸も多く、複数の宮も造られたといいます。
九州北部に、多くの足跡を残されております。

御祭神 神功皇后(じんぐうこうごう)

多紀理比賣命(たきりひめのみこと)
沖ノ島の奥津宮に鎮座し「霧の女性」を意味しています。霧深い海の中にぽつんと佇むさまを表すのかもしれません。
市寸嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)
「神に斎(いつ)く女性」の意味で、身を清浄にして神に仕える樣を表します。宗像の大島、中津宮に鎮座します。
多岐都比賣命(たきつひめのみこと)
「激流の女性」を表し、田島の辺津宮に鎮座します。

宗像三女神

天照大神と素戔鳴尊との誓約において、素戔鳴尊の剣より生まれた三女神。宗像の三女神ともいい、その名のとおり宗像神社の御祭神として有名です。
三女神の鎮座する島々は古来、北九州と大陸との航路の要ともいうべき大切な場所で、海上安全のために古代の渡航者が、神に祈りをささげる神の島として尊崇されていました。
そのため海上安全、転じて交通安全の神として広く知られ、全国の神社に勧請されております。

神の御霊の依りつく巫女」の意味。
姉の産んだ鵜葺草葺不合命 (うがやふきあえずのみこと)を養育し、 後にその妻となり、初代神武天皇をお産みに なりました。

玉依比賣命(たまよりひめのみこと)

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