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篠崎八幡神社へようこそ!


『人生儀礼・祈願成就の社』

北九州市小倉の歴史ある
『篠崎八幡神社』
が管理する公式サイトです。



 御由緒


神社伝記、小倉市誌によると、
仲哀天皇九年熊襲討伐のさなか、
天皇は筑前国香椎宮で崩御された。

その後、神功皇后が三韓を攻め、
凱旋して筑前国宇美で
皇子(後の応神天皇)をお産みになった。


翌年、穴門(長門)の豊浦宮に向かう途中、
鷹尾(高尾)山にさしかかると、
山頂の大石に皇子をたたせ、
遥かに長浜や文字ヶ関(門司)から穴門の方を望み、「穴門は近し」といわれたという。

敏達天皇十二年(584年)に勅命によって、この故事に基づき
鷹尾(高尾)山の麓の朝倉谷に、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇を祀り、
葛城小藤丸を住まわせて祭祀に当たらせ『篠崎神社』とした。

天平二年(730年)宇佐八幡宮から分霊を勧請し、『篠崎八幡神社』とした。



天平十二年(740年)
太宰少弐藤原広嗣の反乱において、
官軍は豊前国板櫃川の東に陣を敷き、
大将軍大野東人は篠崎八幡神社にて
戦勝を祈願し、みごと、賊軍を敗ることができた。

天平勝宝五年(753年)九月
太宰少弐藤原氏は、宝剣や神馬を奉納した。

文徳天皇の嘉祥三年(850年)に
鷹尾(高尾)山麓から、
当時祇園社があった宮尾山(現在地)を
『美しき神域なり』と社殿をうつした。



貞観十二年(870年)大中臣国雄が筑紫の宗像宮に
勅使として下降の時、篠崎八幡神社にも品物を奉納した。
(その時の勅使殿があった跡を「皇の使い山」といい、
訛って「コフノス山」やがて『鴻の巣』という字名になったといわれている)

天慶四年(941年)の藤原純友の乱に於いて兵火にかかり、社殿を焼失した。
(一説には、文治二年(1186年)社殿を現在地の宮ノ尾に移したともいう)

貞和三年(1347年《北朝》)三月の棟札に「将軍尊氏造立奉る」とある。
また、永正八年(1511年)九月にも本殿造営の棟札があるという。

さらに、天正六年(1578年)十一月に大友宗麟の兵火にかかり社殿を焼失した。



慶長五年(1600年)
細川忠興公は社領二十石を寄せた。

元和三年(1617年)三月の棟札に
「篠崎八幡宮本殿一宇建立、
大懇願主両豊之領主細川越中守朝臣忠興」
と記されているとのことである。

寛永九年(1632年)小笠原忠真公が、
神殿・拝殿を修造営した。

宝暦十四年(1764年)五月の棟札に
「篠崎八幡大神祠造営奉る大願主従四位下
小笠原左京大夫源朝臣忠総」とある。


以上、社殿の造営は昭和四十六年の造営を含め、合計七回あったということである。

当社は明治六年郷社、昭和二年には、県社に列せられた。




  【篠崎八幡神社 ―北九州市の八幡様―
〒803-0861 福岡県北九州市小倉北区篠崎1-7-1
TEL:(093)561-6518 FAX:(093)581-0674

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